ヘルファイアーパス
「死の鉄道」(DEATH
RAILWAY)とも呼ばれる泰緬(たいめん)鉄道は、アジア侵略を押し進める日本軍がインド侵攻のための軍需物資の陸上輸送ルートを確保する目的で敷かれた軍用鉄道である。タイ(泰)のノンブラドックとビルマ(緬甸)のタンビザヤを結ぶ415kmに及ぶ鉄道は密林のジャングル、山岳地帯を通り、かつて同じルートでイギリスが計画を断念したほどの険しい地形の中に建設された。
1942年7月5日、日本軍は前年に同盟国となったタイで泰緬鉄道建設の測量作業を開始した。当初調査段階では最低5年はかかると考えられた難工事であったが、日本の戦局の悪化に伴い急ピッチで工事を進めるよう命令が下り、43年10月17日、工事開始から1年3カ月という驚くべき早さで泰緬鉄道は完成する。
工事には連合軍捕虜約68000人、中国・インドネシア・ビルマ・マレーシア・インド・シンガポール・タイのアジア各国から募集、強制連行された労働者推計300.000人が動入された。地理的な悪条件に加え工期の短縮により労働は苛酷さをきわた。猛暑の中、人海戦術でクワイ河沿いのジャングルを切り開き、国境山岳地帯の岩を削る作業が連日長時間続き、追い打ちをかけるように激しいスコールが襲った。重労働、日本軍による虐待、食糧・医療品の不足、マラリアなどの伝染病によって莫大な数の死者を出していった。その数は連合軍捕虜約13000人、アジア人労働者100.000人。死者の正確な数字は定かではなく、特にアジア人労働者はジャングルの奧に眠る死者の数が2万とも3万ともそれ以上ともいわれる。この工事で一番の難所を極めた場所をヘルファイアーパスと呼んだ。
歴史上でもっとも悲劇な場所で夜間の工事を照らすたいまつが地獄の業火のように見えたことからこの名前がつけられた。
ここを切り開いて進む為には丸太が必要であった・・たった130mの切り通しを作るために・・・その丸太の代わりに1人の人間が置かれ命を落としたのだ、人の命の尊さをその時どう考えたら出来たのだろうか?この130mの切り開期の為に犠牲になった人々は400人を超える・・しかもここで命を落とした人の大半がオーストラリア人だった。
泰麺鉄道が作られた理由
1942年5月日本軍の輸送路は台湾からシンガポールを通って来ていた、しかしインドに進むためには更に輸送路を確保しなければならなかったが、南シナ海にはアメリカ軍の潜水艦がインド洋には連合軍の航空機が来て日本軍の輸送路を遮断した為、タイのバンコクからビルマのラング―ンを繋ぐ為にタイのノンプラットとビルマのタンピュザヤを結ぶ415kmの単線軌道を造ったとされている。
しかし、南シナ海とインド洋の両方からモンスーンが吹き荒れビルマとタイの間にはテナセリューム山系と言う山脈がありこれが正面から衝突する為困難を要したのである、その上ここは世界の中でももっとも最悪な悪疫が反映する場所としてあらゆる病気が蔓延していたところだった。
これを承知でこの鉄道は造られたのである。なんと無謀なと当時は誰もが日本を非難したと言われている。
当時日本軍は占領地で連合軍をシンガポールに集めていた、シンガポールで捕虜になった人だけでも15万人約30万人はそこに集められていたと言われています。その中から言葉巧みに誘い約68000人が志願しタイに連れて行きました。
この人達以外にもビルマから18万人、マラヤから8万5千人、インドネシアから4万5千人合計30万人の労務者を連れ日本軍が1万2千人全部でそこには40万人以上の人たちがいた事になります。食糧不足・アメーバー赤痢・マラリアなどに遣られ40万人の半数がそこで命を落としています。その上日本軍はビルマの食料を食べ尽くし、イギリスはその民家に逃げ隠れしていた日本軍を狙い民家に爆弾を落として入た為、ビルマはほぼ全滅に近い状態に陥り、その為か今に至るまで国事態が回復出来ない状況にある訳です。
戦後、泰緬鉄道での日本軍の行為は問題となり関係者多数が「捕虜虐待」として戦犯とされます。
泰緬鉄道を有名にしたのは、クワイ川架橋建設をテーマにした映画「戦場にかける橋」(英、1957)であったでしょう。映画では橋の建設という共通目的の中で日本軍と英軍捕虜が一丸となっていく姿が描かれています。映画の最後では英将校が連合軍の攻撃から橋を守ろうとさえします、しかしそれは映画の中の話で、このクワイ河架橋は建設中から連合軍の攻撃で何度も破壊され、日本軍は連合軍捕虜を攻撃抑制のために橋の上に立たせる「人間の盾」としたと言われています。それでも爆撃は行われ、多くの犠牲者を出し他のです。
現在、泰緬鉄道はタイ国内ノンプラドックからナムトックまでが一部運行されている。その途中、「戦場にかける橋」の舞台になったクワイ川鉄橋のあるカンチャナブリに泰緬鉄道に関する記録を展示した「JEATH・戦争博物館」がある。「JEATH」とは泰緬鉄道にかかわった6カ国、日本(Japan)・イギリス(Engrand)・アメリカ(America)・オーストラリア(Australia)・オランダ(Holland)・タイ(Thailand)の頭文字を合わせたもので「DEATH=死」をもじっている。単なる「死」の博物館ではない、「日本」による「死の博物館」であることを明確に示しているように思える。同博物館の表門にはこう書かれている。“FORGIVE
BUT NOT FORGET”「許そう、しかし忘れない」。
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